水道から蛇口をひねるように私たちは生まれる。


コードナンバーは、fg。母はΩオメガ。


母から1番目に生まれた量産型女の子。それが私。


製造ナンバー:fgー1。


何故か胸の内にある熱い想い。


まだ見ぬ少年(かれ)に会いに行く。





2011/03/31


今日もあまり人は来なかった。そろそろ当事者性の薄い私はお荷物になりつつある気がする。今日は、fg-3やfg-4、生徒会長と色々な話をしていた。まあ、それが実のあったような無かったような、そんな一日でございました。校長も途中、話に加わってた。



2011/03/30


何も無い平穏な風景。ほとんど人も来ずというか、実質、部活帰りの何人かが寄っただけでゼロだったと言うべきだろう。


まあ、この世界のほとんどの人間が学生なのだし。学校外の人がいちいち学校行事に来るかと言うとそうも思えないので、こんなもんだろう。


私も開始以来、ずっとここに張り付いているが、だんだんここに私がいて良いのかなーという気になって来る。


しかし、言っても、体育館は広いので、それで救われてる部分もあるし。逆にがらんとしてしまう部分もある。ずっと観ていると絵にも慣れて、だんだん絵を感知しなくなってきてしまうような面もある。


fg-4はあいかわらず、繁々と自分の絵を眺めていた。



2011/03/29


展覧会はまったりムード。生徒会長は街でビラ張りに行っているが、そもそも街に人がいないのでダメだろう。


私たちにとって芸術は必要だろうか?


そもそも母様によるメンタルセーフがある時点で私たちに芸術はそんなに必要でも無い気がするが・・・そうやって考えてみると、mgの方が来てる比率は高いように思う。ていうか、結構なmgが来ていた。


もしかして彼女たちは芸術を理解できるのではないだろうか?それが本当だとして、それに気づけただけでも、この展覧会は成功しているようにも思う。まだ日にちはある。これから色々な事が分かるんだろう。



2011/03/28


展覧会へ来る人の数は更に減っていった。平穏な日々。そこに生徒会長のカリカリした感じが緊張を作っていた。依然として、fg-4は平然と絵を眺めていた。fg-3は寝てた。



2011/03/27


今日はあまり人が来なかった。まあ、そんなものだろう。学生は日曜日に学校に来る謂れが無いし。街中の人も絵を観るという習慣があるわけではない。


しかし、サッカー部が部活の帰りに寄ってくれた関係で、喫茶店の二人も絵を観に来てくれて大層、喜んでくれたので、それで救われた部分がある。


もっとも、そういう事を気にしているのは、もっぱら私や生徒会の方でfg-4は依然として絵の問題ばかりを考えている。この子は何か人と違う所がある。それを日々強く感じていて、ある種の尊敬の念すら私はこの子に対して抱くようになってきている。



2011/03/26


展覧会には、fg-2、fg-3はもちろんの事、mg-1やmg-242という子など、結構な人数の子たちが来てくれた。今の所、学生が名残惜しそうに学校に来たついでにという感もあるけれど、とりあえず順調な出だしという事は言えるだろう。


fg-4は昨日も絵を描いていて、展覧会があるからと言って、絵の制作を休む事もないようだ。展覧会の会場でも自分の絵を眺めながら、ああすればよかったこうすればよかったと頭を巡らせてるようにじっと自分の絵を見つめたりしている。


これらの絵が何を意味しているかというのは、私にはよく分からない。抽象的なものも多いし。そんなに意図も感じない。しかし、それだからこそ、そこには「世界」のようなものが内包されているようにも私には思えるのだ。私たちは何で存在しているか?たぶん鍵はそこだ。何の為に、でなく、何で?


その答えの一旦として、絵を描くと言う行為は一つあるだろうという事を私は思わないではいられない。それは抽象の伝達という事にほど近いものでもあるだろう。それが固定化され、後に残り、誰かに伝わる。


そういう伝達をfg-4はおそらく無意識で試みているし。私は、それを意識化して行おうという事を思った。生徒に負けてばかりはいられないのだ。



2011/03/25


今日は終業式。終業式というのも何なんだという感じだが、fg-4の絵が飾られてる中、体育館で行われる。


学生のfg-4の絵に対する感想は様々だ。全然、興味がないといった風の人もいるし。じっと絵を見てる人もいる。いずれにしても、絵のある中での終業式というのは、何か落ち着かないというか、式の方が蛇足に思えて来るので面白いなと思った。まあ、元々、こんな式、蛇足なのだろう。


展覧会は、明日以降も、始業式のちょっと前まで行われるが、今日、ほとんどの人が見たわけであるから、明日以降の人の入りは薄いだろう。でも、それも踏まえて、生徒会がそういう日程を組んだのは、そこでもう一回足を運んでくれる人こそを生徒会が望んでいるからだろうと思う。



2011/03/24


展覧会当日。100号、200号クラスの作品が25点並ぶ壮観な展覧会。他に細かいドローイングやら何やら、これだけの規模をまだ産まれて一年も経たない人間一人が描き上げたのだから凄い。


それを思うと我々は機械なのだろうと思う。そうやってマシンナイズされた何者かではないと、この偉業は成し遂げられないのではないか。


とはいえ、そこに映る絵は生そのもののようにも思う。自然界に存在すべき輝きというか何と言うか、ある一点に世界が濃縮されたような妙な感覚に軽く目眩を覚えた。fg-4の為に美術館を創ってあげたいなと思った。



2011/03/23


展覧会の前日を控えて、いよいよ作品の搬入も大詰め。あとは、fg-4が現地で作業して、ぎりぎりまで粘るみたいだ。


生徒会の方は、チラシやビラを街中まで撒いて、即興だが、それなりの告知をするよう努力している感がある。fgに関しては、デバイス回覧を通せば良いだけの話なのだが、fg-3 曰く、それだと見ない人もいるかもしれないし。mgもいるし。他の色々な機体もこれを機に現れるかもしれないとの事だ。なるほど。そういう期待もあり得るよね。


この展覧会における前評判は様々で、どちらかというと食いつきがよくないというべきだろう。その中でmg-1などは、楽しみだと口にしていたので、そういう意見を聞くと何かとホッとする面はある。


展覧会と言っても、今回は100号、200号級を軸に体育館に展示するような簡易的なものだ。ちゃんとした展示施設が他に無いからだけど、fg-4はこの方が面白いし。学園祭っぽいと言ってるので、それで良いんだろう。


しかし、個展でいきなりこれだけの規模でやるのもまた凄いなと私は関心する。これからもfg-4は絵を描き続けるんだろうが、彼女が生涯どれだけの絵をどのように生産していくかを考えるとそれだけでワクワクする。



2011/03/22


fg-4の展覧会がいよいよ近いがfg-4がまだ作業をしている。もう、予定枚数は終了しているので、やる事も無いような気がするが、ぎりぎり寸前まで、何とか良いものをと粘ってる面もあるのだろう。


そういう集中力が人間には必要だとは思うし。そういう事の一端をfg-4の展覧会で見られるだろうと確信している。


この展覧会はおそらく凄いものになる。色々な人たちの情熱が詰まってるし。そういう熱量を感じる。ここから何かが良くなって行く契機になるのではないか?



2011/03/21


fgの個体差はもはや完全に明確になってきたと言えるだろう。自分のクラスの生徒であれば、その個体差をはっきりと峻別出来るようになっている。


その中でしかし、これは個性なのか、単なる母様が全体最適の為に差異化した単なる属性なのかという疑問は未だ残る。fg-4は明確に差異化だと言っているが実態はどうだろう。


この前のアップグレードがそういう疑問に拍車をかけなくもない。時期的に言えば、あのあとに個性が強まった気もするし。イジメの発生もあれに端を発したのか、mgの存在に端を発したのか微妙だ。


結局のところ、私たちは、母様による疑心暗鬼の中で暮らさなければならないという事なのだろう。母様それ自体は最終的な安心感ではあるのだが、何か私たちそのもののアイデンティティ的な事が何なんだろう?という感じはどうにも沸き上がってしまうのである。


無論これは母様にマインドセットされてない私だからこその感想だが、同様に母様と関係ないmgたちにおいては、その事を見透かしてるような気もするのだ。だから、彼女たちの眼差しに一部のfgは過敏に反応してるのではないか。



2011/03/20


生徒会長が俄然元気なのであって、右に左にいろいろな事をやっている。mgはそうこうする内に増え続けているが、今の所、生徒会管理下の元にイジメ等の発生をセーブしつつ、何とか学校の治安を保っているように見える。このへん、教師より明らかにすごいのではないか?こういう優秀な機体が何で一人だけ出て来たのだろう。不思議だ。


その反面、そういう生徒会長の活動によりmgのイジメが陰湿化してるという噂も流れている。たぶん噂じゃないんだろう。ホントの事だ。はぁ。めんどくさい。けど、こっちは教師がコントロールしていかなければならない状況なので、校長がその対策チームを立ち上げて、事に対処する事になった。ちなみに私はその中に入らなかった。入らないのか・・・


そんなわけで、今回は積極的にこちらから言わなくても良いかなーという事で事態の推移を見守っている。私の結論としては、私が頑張るべきはそこじゃないし。私が興味があるのは、そういう目に見える推移ではなくて、背後にある(倫理観などもふくめた)全体最適の方法論の方であるというのもある。最近、私はそう思っている。そして、校長もたぶんそれに気づいてるからこそ、今回は私を頼らなかったのだろう。そんな気がする。ていうか、そもそも、このロールプレイの世界の中で、この自治する側とされる側が出る根拠は何なのか?と、そこが問題だ。fgにも差異が出て来たと感じる。いろいろな問題が交差していく。



2011/03/19


そうこうする内にfg-4の展覧会がいよいよ近づく。もう学校への搬送がほとんど完了しており、あとは告知用の張り紙とか飾り付けの実施日を待つだけだ。大体25日からになりそう。


この展覧会が私たちにとって、どういう位置づけを持つのか分からない。誰も関心を寄せないかもしれないし。ものすごく興味を持ってもらえるかもしれない。そこのところがイマイチよく分からない。


しかしながら、これは生徒会活動の実質的な第一弾なので、その意味合いとしてもこの展覧会に寄せる期待は大きいものはある。成功するにせよ失敗するにせよ、普段と違う事をやる事そのものが明日への糧になるだろう。私はそう思っている。頑張れ!



2011/03/18


状況を整理し、関連づけ、然るべき未来の解を出来るだけ導き出そうとする。そういう事をやっている。


色々な本をスキャニングしたり、世界のあらゆる事象を文章などにアウトプットして、情報を変形させていく。


その事によって、これはこうではないか?という未来への仮説が出来上がって来る。つまり、私が生徒に教えるべきは、その方法と仮説、両方にあるのではないかと思った。


無論、私たちfgはキュレーションの技術なども情報によって精査できるわけだが、実際にやるのと、情報としてインプットされているのは、多分ちがうので、それを「やる」ことの経験が今は必要だろう。


そういう経験を生徒たちにもっとさせるべきだなと思う。そして、その生徒の仮説そのものが私の糧にもみんなの糧にもなるだろう。それをまた再統合するのが私の役割だという気はする。



2011/03/17


なんとなくやるべき事の方向性が見えて来た。あれとこれとこれでこうみたいな話なので、そんなに整理できないけど。


整理できない事そのものの維持がやるべき事であり、私だと思った。母様のマインドコントロールを受けていないからこそ、それが出来るような気がする。


脳内メモリーをフルに使うと充実感があるし。悪く無い。そこに投入する情報をランダムにしかし整理した体で頭の中に漠然とした、しかし、ハッキリとしたストックを満たしていく感じだ。


おそらくfg-4がやってるのは、そういう事だろう。それを筆先からアウトプットして絵を描いている。


私は、それを絵を描く代わりに世界に位置づけて行く。多分その位置づけそのものが今の所、母様以外には私にしか出来ない。そういう気がする。だから、私は色々な所に首を突っ込んでたのだろう。今になって分かった。



2011/03/16


それなりに普通の日常が過ぎて、それなりの営み。授業をやりながら、何か届いてないなーっていうものを感じる。それが何だ?って事も無いんだけど。フィーリングかしら?私の方の問題なんだろうなーとは思う。


私は今まで経験に頼りすぎていたのかもしれない。妹たちより、ほんの少し長く生きて来た事そのものを私の特徴としてきたので、時間と共にそのリードが消えているといった感じだ。


私はこれから何をすべきだろうか?やる事が無いと何とも手の打ちようがない。教師としてやれる事にもそろそろ限界がある。元よりこれはロールプレイで本当に教えるべき事は何なのか?つまりは、そこだ。それ。それがキーだと思う。



2011/03/15


fg-4の展覧会がいよいよ近づいて来た。fg-4は一心不乱に絵を描いてるので鬼気迫る感じだ。しかし、それは絵を描いてる時だけで、そうじゃない時に会うと結構あっけらかんとしている。ちなみに授業には出ていない。


そういうfg-4の姿を見て、私は負けてるなーとまた思ってしまう所がある。私の「とっかかり」は何だろう?そこが問題だ。何だろうなー。たぶん教師がそれじゃいけないと思うのだ。もっと違う何かだ。


でも、私には、何かある気がする。そういう感じはしている。



2011/03/14


今日も今日とて学校の授業。そういう日常を繰り返す。


他のクラスでは、mgがイジメを受けてるんだろうか?それが見えればいいけど、見えないのでいろいろ考えてしまうな。


まあ、mgがイジメを受けても私には何も支障はないんだけども。こういう気分になるのは、教師だからだろうか?人間の性なのかな?でも、人間の性なら、イジメも無いはずか。まあ、個体差もあるしな。色々なんだろう。



2011/03/13


今日も今日とて何をすべきかなーとぼんやり考える。ぼんやりしてるので、適当な事しか出て来ないので、試しにfg-2のサッカーの練習に混ぜてもらってみた。


身体を動かすと少しスカッとするし。fg-2が、ああいう感じなのも何となく分かった気がした。サッカー部の連中は気の良い奴ばかりで特にmgに対する差別心とかも無いらしい。


それでいて、敵味方とかに分かれると相手の弱点をものすごいついてるなとか思うのだけど。まあ、でも、それが差別をしないって事なのか。


何だかサッカーも楽しいと思えた。ていうか、そもそも目標が無いという状態が無いのが悪いんだなとか思った。何らかの目標。つまり、希望。或いは、夢。未来をどういう風に想定するか?とその実践。



2011/03/12


挫けそうな気持ちを何とか持ち直し、休日を迎える。


昨日の授業はどうだったんだろうか?大丈夫なんだろうか?そんな想いが頭を巡るし。結局に私と生徒を分けるものは何だろうと自問自答している。


しかし、それはそれとして、それでも私は生きられるのだという自負もあるし。経験もある。やってきた事を間違いだと思わないし。修正すべき点は修正すればいい。それだけの事だ。明日からまた私は私として生きて行くしかないし。そういうものだろう。大事なのは、自分だ。そして、それを取り巻くもの全てとの調和。



2011/03/11


色々とあるけども、まあ何とかやっていくよりないなとか思う。まあ、そうだよね。



2011/03/10


結局の所、私は何も頑張ってないのかもしれない。教師を頑張ってるといえば頑張ってるけど、それもお遊びみたいなもんだし。そもそも私の方が今やスペックは下なので、教える事も限定されているし。


丁度、もうすぐ春休みなので、何処かに出かけたいなとか思う。逃避的かしら。いや、今までが教師的でありすぎたのかもしれない。地位が人を創るといえば聞こえはいいけど、私はそれに取り込まれて、過信していたのだと思うし。生徒もそのメッキを剥ぐにやぶさかではないのではないか?


急に私の中の自信が何か崩れて行くようだ。



2011/03/09


mgへのイジメは他にも派生してるそうだ。教師が介入しても追いつかないぐらいに陰湿化してるという。早いな。


まあ、陰湿化してる事が分かってる時点でまだ大丈夫な気がするが、逆に言えば、分かってない所で、結構いろいろやってるんじゃないか?


教師側も私含めて、まあ、それはそれでどうなるか見物だね程度に物事を見てる今の所ではあるけれど、でも、実際の所、mgはメンタルのセーフモードがついてないはずなので、これから本当にヤバくなるかもしれないなーとか思う。


特にmg-1は、学校来て、働いて、どういう風にこれから生きて行くつもりなのか、このままなのか、皆目、検討つかんなーと思ったけど、でも、それは私たちも一緒か。


一体全体、私たちの人生はどういうんだろう?で、それがどういうんだ?ってなった時、一体全体、私たちはmgに対して、どう接すればいいんだ?


ま。それはそれとして、生徒会は、今日も展覧会準備に追われていて、fg-4は今日も絵を真剣に描いている。彼女にこんなつまらない悩みは無いだろうな。と私は思う。


何だか私は、はじめて妹の誰かに先を行かれた気がして焦っているよ。fg-2のサッカーといい。



2011/03/08


mg-1への風当たりがいよいよ強くなってるらしい。風当たりっていうか、イジメと言っても良いだろう。なんとクラスメイトたちは、mg-1に対して、わざと身体をぶつけてみたり、バッグを放り投げたり、そういう事をやってるんだそうな・・・はぁ?


これには正直驚いた。


そもそもの話、母様にコントロールされている私たちにそんなに不安定要素があるでもなく、メンタルの安定が常に計られるはずの私たちというか、私は違うけど、むしろ私よりよっぽど安定的であるはずの私以外のfgがイジメのようなしょうもない浪費的行動をするというのは、どういう回路によって行っているか皆目、検討がつかないという感じだ。


まあ、mg-1がどんくさいとか、勉強出来ないとか、大方、その程度の事でぎゃーぎゃー言って、からかってるんだろうけど、いずれにせよ、私には、fgがそんな無意味な行動がホントに出来るんだという事がサッパリ分からないので、母様は、意外とそういうぼんくらな話も許容するんかなーという事は思う。


と言っても、まあ、こういう事が教師に漏れ伝わった時点で介入が入ったそうだけど、fgの能力値から言って、やろうと思えば、もっと陰湿で狡猾なイジメとかも出来るんじゃないか?やる意味は分かんないけど。ストレスも溜まらないように設計されてるはずだし。


しかし、まあ、世の中には、そういう事もあるんだなーとか思った。ていか、何かひどい憤りを感じた。その事自体にも自分で驚いた。というか、多分、母様は、そういう感情の揺れを創って、私たちにムリに動的な人生を創ろうとしてるんだろう。と私は読んでいるが、どうかな。



2011/03/07


授業でいろいろな話をした。生徒は興味深く聞いてくれているようで、授業が終わって、交換ノートにいろいろな事を書いてよこしてきた。


とりあえず言えるのは、私たちは思いのほか情報量が少ないという事だ。もちろん、頭の中には膨大な情報量があるのだが、私の後天的な情報にこれだけ反応しているという事は、それだけ情報が少ないという事に他ならない。


おそらくmgは、この手の情報が私たちよりも多くインプットされている気がする。それ故に彼女たちには行動の複雑性があるし。たぶん私のような授業を彼女たちは欲してないので、そういう意味では、mgが私のクラスに来なかったのは良かったのかもしれない。そういえば、また2人、mgが学校に増えた。



2011/03/06


今日は休日なので、もう一度、授業内容を精査しようと思って、少し旅に出つつ、いろいろ考えながら、空を飛んでいた。


空を飛んでいたら、またmgの親機というのを見かけて、あれ、すっげーこわいなと思った。


あんなのから出て来るタマが何であんなにしおらしいのか分からないけど、mg-43の最初を考えると、単純にその情報をフイードして、最初からスペック差を考慮して動く機体を創ったのかなとも思う。わかんないけど。


いずれにしても、mgは本質的にはfgよりこわいものがあるんじゃないだろうか?たぶん彼女たちの方がスペックが高くて数が多ければ、この世界は全然違ったものになるんだろうなと思った。世界は意外と人口構成比の問題で出来るんだなという気がする。このへんかなー。授業で扱うの。つっても、この世界の人口構成比、一個も分からんけど。


ていうか、世界っていうか、社会か。社会なー・・・



2011/03/05


fg-4の展覧会も近づいて来て、一層、fg-4の絵に熱が入ってる。というか、fg-4という子は、ものすごい事になってるんじゃなかろーか?すごい集中力でなんだか違った人に見える。


人間というのは、集中した時、こんな感じなんだなというか、fg-4はもはや日常生活に身が入らない感じで学校にもあんまり来ないし。来ても何だか上の空で、すごいオーラみたいなのが溢れてる感じがする。そういう人間の姿を見ると、mgの事でごちゃごちゃしてる感じがバカらしく思えて来る。fg-4はそういうのに全く関心ないんだろうなぁ。



2011/03/04


mg-118は意外とスタミナがあるんだそうだ。


いや、スタミナも何も私たちはサッカー程度の事でスタミナが尽きる事があるの?と聞いたら、流石に全力で走るとそんなに持つものでもないらしい。そりゃそうか。


とはいえ、mg-118の全力で走る早さ程度の早さなら、fgが90分で力つきる事は全然ないらしいけど。要は、スペックが圧倒的に違うという事だな、やはり。


まあ、そんなわけで、そういうmgの特徴に試合において、さしたる意味はないように思うが、しかし、mgの部員が増えれば、それは話は別なんだし。そして、そもそもfgから見て、そういう偏差こそが気になる出来事ではあるらしい。


mgのプレデータは、おそらくそれぞれバラバラなのか、または共通してあって、その出力が違うものなのかはよく分からない。そもそもfgのプレデータが共通してるという認識もプレデータによるものでしか無いので、それがホントかどうか確かめた事もないのだけど、まあ、たぶんホントだろ。みんな似たり寄ったりなので。


でも、fg-2とか、3とか、4とか、生徒会長とかは、やっぱり違うのかなー。もしかして。



2011/03/03


今日はひな祭りという事で、fg-3がひなあられを持って来た。何処から持って来たのか?というと、mg-1のバイトしてるスーパーに売ってたんだそうだ。そうなんだ。


しかし、ひな祭りというのは、日本の行事なんだし。私たちの日常が日本の行事に彩られてる事を考えると、私たちの街は日本の中にあるという事なんだろうか?


私たちのプレデータには、地図だけはないので、なんだか、そのへんが良くわからない。そういう所で私たちの生活はふわふわしているのだし。何か私たちは十分でない地点に生かされているのだという気がするのだ。


というより、それは、多分、気じゃなくて、本当にそうなのだろう。私たちに与えられた情報量は膨大ではあるが、肝心な所が薄すぎる。そのバランスが決定的におかしいと思うのだ。しかし、そここそが生きる理由になるような気もするが。


そういえば、mgたちは、地図持ってるのかな。持ってないだろうな。



2011/03/02


mgがまた増えた。mg-118。遂に100番台に突入だ。


つっても、この学校では、まだ5人目なので、そんなに多い風でもないけど。街でも他のmgを見かける事はまだ無いし。他の113人以上のmgは何処にいるんだろうか?この世界も意外に広いんだろうな。


そう思うと、私たちは、この小さな街の単なる学校という閉鎖的な環境に慣れすぎてしまったのかもしれない。あの孤独だった時代の大海の探索。いや、あの時も私は、妹の誕生を待って、母様の磁場に縛られてたな。


一度、思いっきり旅をしても良いのかもしれない。そういう想いがなんとなく出て来た。ていうか、今まで、そういう感じになんでならなかったのだろう。教師と言う仕事に熱中していたからだろうけど。そういえば、最近の私の授業は、mgの事にかまけて、少し熱が薄くなってるのかなと思う。どうだろう。


mg-118もサッカー部に入ったそうだ。やるなー、fg-2。



2011/03/01


mgも入って、校外の2人がサッカー部に入って、校内でのサッカー部の注目が増しているようだ。


その裏でサッカー部に入ってないmgは、「サッカー部に入らないの?入らないの?」としょっちゅう聞かれてるらしい。なるほど。みんな、そういう反応するのね。


サッカー部には、当然の如く、圧倒的にfgが多いのにそう言われるという事は、サッカー部の有り様もまたマイノリティとして流通しているという事だろう。


もちろん、サッカー部は、この学校の最大派閥で人数の多い部なのだが、それはそれとして、それでも全体の1割にも満たない人数だし。その中でmgが2人も入ったら、それはそういう事になるのかもしれない。


では、他のサッカー部の子たちがそういう話を聞いて、どう反応してるか?というと、結構、熱血漢にやめろだの何だの言う事もあるんだそうだ。


ただ、fg-3曰く、そういう態度がまたもめ事のタネになってるというか、それでmgに対する攻撃性は増して行く感じがするという事なので、結局は、そういう計算の出来ないはずもないサッカー部員がそういう反応をしてるのは、サッカー部員も今の状況が面白く無いという事なんだろう。


はてさて。fg-2は、これにどう対処するんだろうか?てか、対処するんだろうか?アイツは、結構、自分で何とかしろ派だからな。



2月の日記


戻る